モンフェラン発見〈Montferrand〉jeu. 13 avril*6日目2
2017年 06月 10日
Montferrand モンフェランのMaison de l'Apothicaire 薬剤師の家。
3階以上は木造の15世紀の建築。
モンフェランはクレルモンの北東3キロのところにある中世の城塞都市だ。
3階以上は木造の15世紀の建築。
モンフェランはクレルモンの北東3キロのところにある中世の城塞都市だ。
こんにちは、Kaoluluです。
今日は老眼鏡を作ろうと眼鏡屋さんに行って来ました。
ところが、本人が感じているほど老眼は進んでいないことがわかり、
2年以上使っているハードコンタクトの買い替えに変更…。
もう少しコンタクトで若作り…頑張ります。
> suivre le parcours de la cité de Montferrand モンフェランの都コースを歩く
トラムに乗って、Musée d'Art Roger-Quilliot駅かPlace de la Fontaine駅で下車。
観光案内所のサイトにあった地図通りに歩こうと、より遠い前者の駅で降りました。
この町の歴史について、少し説明しておきます。
Clermont-Ferrandというのは、1630年にライバル同士だった二つの町、
ClermontとMontferrandの合併の勅令があり、その後1731年にようやく実現。
モンフェランの起源は、オーヴェルニュ伯が、
クレルモンの権力者である司教と競うために築いた町で、
13世紀初め、ブレイエール伯爵夫人(contesse Brayère)によって要塞都市として再建され、
今にその形を残しています。
15世紀には商業で栄え、16世紀に王が税務・犯罪法廷を置いたことで最盛期を迎えます。
そのため、木組みの住居、ロマネスクの家、ゴシック時代やルネサンス時代の邸宅など、
様々な建築が混在しているのがこの町の見所。
Musée d'Art Roger-Quilliot ロジェ・キリオ美術館。
周りではオープンを待つ学生の団体さんがいました。
この美術館は、前述の16世紀の法廷があったところに建てられています。
革命の後は神学校に、第一次大戦中は軍の病院に、のちに兵舎になり、1980年代末に美術館に。
オーヴェルニュのロマネスクから、19世紀の美術コレクションまで展示されています。
今回はKaoluluは、入らなかったのだけど…。
この地図(わざと北が上になるようにしてあります)右の「D」から出発。
美術館を通り過ぎて、上り坂を西へ向かって歩くと、鐘楼が見えてきます。
Eglise Notre-Dame de Prospérité 幸運のノートルダム教会。
あ、フランス人が布団を窓から干しているところ、初めて見たかも…。
モンフェランではいくつかこんな窓を見かけました(笑)
観光コース2番のPlace Marcel-Sembat マルセル・サンバ広場。
オーヴェルニュ伯爵が城を築いたのはここだそう。
あ、いきなり観光コース通りじゃなかった!と引き返し…。
十字軍と関係あるらしいTemple通りから、Château小路を教会に向かって歩き直す。
戻って来た。Marcel-Sambat広場は可愛らしいカラフルな家が並んでいます。
右に洗濯小屋があったので覗いてみたけど、水は入っていませんでした(苦笑)
観光コース3番のRue du Séminaire セミナー通り。
教会の裏が小さな広場になっています。
教会の壁に泉がありました。ここは水が出てますね。これなら飲めそう。
番号の箇所に観光プレートが立っています。
ここはモンフェランがかつて商業で栄えたことが書かれています。
この町で一番大きな広場は、町の西にあるRpdade広場ですが、それはかつての城塞の外。
城塞内の小さな広場がかつて市場が開かれた場所で、今も商品の名が広場の名前になっていたりするそう。
その例が、すぐ近くにある Halle aux Toiles 織物ホール↓
右手の4つのアーチとバルコニーのある建物。
こんな風に、観光コースの番号通りに辿っても、
パネルにはそこから少し外れる場所が紹介してあることがあり、
それがむしろ重要な場所だったりすることに、6番あたりになってやっと気づきました!
なんだかいい雰囲気のビストロが見えて来たら、4番のCarrefour de s Taules。
ここについてはパネルを見逃してしまい、後で戻ってきます(笑)
Carrefour des TaulesのMaison de l'Apothicaire 薬剤師の家。
今はカフェになっているけれど、薬剤師の家だった証拠は切り妻屋根の持ち送り↓にある。
左が、浣腸を構えた薬剤師!
右が、いまかいまかと浣腸が打たれるのを待ってお尻を出している患者!?
…こんなに離れてたら無理でしょ!(笑)15世紀ギャグ…。
5番のrue de la Robade ロバド通り。ここもパネルを見逃し。。。
なんてpitoresque 絵になるんだろう!
6番のパネルがあった場所。
Rodade通りとDr. Pierre-Balme通り、Marmilhat通りの交差点。
コースは奥へと下り坂へ行くように書いてあるけど、そっちはCordelier通り。
6番のパネルには、手前の「Dr. Pierre-Balme通り」と書いてあってややこしい。
つまり、ここで、地図で黄色い線の引かれたコースは、
必ずしもパネルと一致しないと気づきました。
6番パネルには、
「Dr. Pierre-Balme通り、5番地の家のファサードと、11番地のhôtel d'Abliatを見なさい」
とある…。
途中、可愛いヨークシャテリアが門のところでこっち見ている家があったので、
挨拶したら、ちょー吠えられてしまいました。
飼い主が出て来て、怪訝そうな顔で「何?」と言いました。
「いえ、可愛いですね、elle?il ?」
「ああ、可愛いだろ。別に意地悪じゃないんだよ」となでなで。
と、ヨークシャテリアはあっさり中庭へと消えました(笑)
ここが5番地。小さな柱に小さな柱頭のあるロマネスクのファサードを持つ家。
ASM(クレルモンのラグビーチーム)の旗が出てますね。
でもって、ここが11番地のAbliat館。柵は自由に入れるよう開いています。
お邪魔しま〜す。。。郵便受けやゴミ箱があるし、普通に人が住んでいる様子。
小さな中庭には、この旅で何回か見かけた階段小塔とギャラリーが!
Abliat館は16世紀の建物だそう。…ってそんなところに今も人が住んでいるのか。
ギャラリーには「聖母マリアの出現」が彫られていたらしい。
傷みがひどくてよくわからないけど。これは意図的に破壊されたのかもしれません。
階段の入口のタンパンにはユニコーン伝説が彫られていたそうです。
オーヴェルニュにはユニコーン伝説があるのかな。。。
階段にも登ることができます。各階に人が住んでいるので静かに登ります。
小さな中庭です。
中庭の壁に、無傷の顔の彫刻が取り付けられているのが印象的でした。
たぶんこちらは男性。
反対側に女性。。。
6番のパネルを写真に撮っておくべきだったなぁ。なんの意味があるのだろう。
2人はカップルなのかな。
モンフェランの散策は、こんな風に「中世の館の中庭巡り」の様相を帯びてきます。
中に入れる館がとってもたくさんあったのです!
→ フランス旅行記2017〈パリ郊外とオーヴェルニュ〉全記事表示
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by
ヒヤシンス
at 2017-06-11 17:20
x
す、すごい、在住なんですね~、さすがオーベルニュ・・・!
日本で言ったら、禅の書院造り(だったかな?)に今現在も住んでいるような
時代背景ですよね。
ヨーロッパの感覚はすごいなぁ。
こんな界隈をお散歩していたら、吸い込まれますね、中世に。
日本で言ったら、禅の書院造り(だったかな?)に今現在も住んでいるような
時代背景ですよね。
ヨーロッパの感覚はすごいなぁ。
こんな界隈をお散歩していたら、吸い込まれますね、中世に。
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by
kaolulu-nv at 2017-06-11 19:20
> ヒヤシンスさん
ほんとに、狭〜〜い螺旋階段を登った途中途中に扉があって、インターホンが付いていて…。
まさか人が住んでいるとは思えないような中世の家そのまんま。
ヨーロッパってやっぱりすごいですね!
王家のモンフェランと、司教のクレルモン。
両方一緒にみられるなんて、クレルモンフェランは2倍楽しめる町ですね。
7月はモンフェランで中世祭があるみたいですね。楽しそう。
ほんとに、狭〜〜い螺旋階段を登った途中途中に扉があって、インターホンが付いていて…。
まさか人が住んでいるとは思えないような中世の家そのまんま。
ヨーロッパってやっぱりすごいですね!
王家のモンフェランと、司教のクレルモン。
両方一緒にみられるなんて、クレルモンフェランは2倍楽しめる町ですね。
7月はモンフェランで中世祭があるみたいですね。楽しそう。
by kaolulu-nv
| 2017-06-10 19:06
| 2017フランス旅行記
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