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Kaoluluの日誌:France/news/旅

ルピュイ・アン・ヴレのノートルダム大聖堂〈Le Puy-en-Velay〉mar. 11 avril*4日目2

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Cathédrale Notre-Dame du Puy ルピュイのノートルダム大聖堂と
Tables通りを繋ぐ階段は134段。
大聖堂はサンチャゴ・デ・コンポステーラの出発点の1つとして世界遺産に登録されている。





ルピュイ・アン・ヴレのノートルダム大聖堂〈Le Puy-en-Velay〉mar. 11 avril*4日目2_f0176688_84732.jpg こんにちは、Kaoluluです。
 大統領選は予想通り。フランス人は哲学を持つ。
 よく考え、自分の意見をしっかり発言できる人たち。
 だから衝突も多いし、時には激しく抵抗することもあるけど、
人の言いなりになったり、世の風潮にただただ流されたりしない…。
このフランス人らしい性格をずっと持ち続けて欲しいです。

さて、1週間ぶりの旅行記更新。気がつけば、1ヶ月前の話になってしまいましたね。

> Dans la Cathédrale Notre-Dame du Puy ルピュイのノートルダムの中を

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階段の途中は石畳張り替え中…。


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ルピュイのノートルダム大聖堂は、かなり変わった構造をしています。
この西門(大聖堂や教会は必ず西に正門がある)は、12世紀に増築された部分です。
古い部分を後陣に残し、徐々に西へと拡張されたそうです。

ところが、古い部分は狭い岩山の頂上にあり、西へ建物をのばすには、
清水の舞台よろしく、足をつけて張り出すようにしなければなりませんでした。
つまり、この門のアーチは「張り出し部分の足」
高低差17メートル。

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そのため、この階段は大聖堂の身廊の中央まで続いていて、
身廊中央にひょっこり顔を出して入場するようになっています。

ですが、夏期以外はこの階段は封鎖されているようで、
階段は踊り場部分で左右に分かれ、右側(南側)の入口から入ります。

初めは構造が理解できず、なんだか目についたものを順々に写真に撮っていました(苦笑)

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聖アンヌの祭壇。マリアのお母さん。子供は聖母マリアの子供の頃を表している。

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1689年製のバロック様式の大オルガン。1994年に改修されました。
大聖堂が宙へ張り出した部分にある、つまり、階段の上にあるということですね。
両面を見られる珍しいオルガンで、クルミ材の木目がとても美しい。

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オルガンに向かって右側、大聖堂の北側に広めの礼拝堂がありました。
Chapelle Saint-Sacrement 秘跡の礼拝堂、別名 Chapelle des Reliques 聖遺物礼拝堂。
なぜそう呼ばれているかというと、17世紀の巨大な聖遺物箱というか家具が置いてあるから。

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たしかに、箱というには大きすぎる聖遺物箱です。


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中央に据えられた黒い聖母子像。
あれ?ガイドブックとかで見るルピュイの黒い聖母子像と違う。

これは、10世紀以前の古い黒い聖母子像を、
1777年に描かれたデッサンを元にして19世紀に忠実に復元したものらしい。

ヒマラヤ杉でできた元の像は、1794年、革命の際に焼かれてしまいました。
その際、像の中から何かが書かれた羊皮紙が出て来たけれど、既に読めない状態だったそう。

ガイドブックに出ている、現在、主祭壇に祭られている黒いマリア像は、
聖母訪問修道院(monastère de la Visitation)のサン・モーリス礼拝堂にあった
17世紀のもので、1856年、前述の失われた黒いマリアの後に祭られたのだそうです。

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真っ暗で、照明は祭壇にしかあたっていない礼拝堂に、古そうなフレスコ画が…。
カメラで撮って補正すると、こんな鮮やかな絵が現れた。デジカメってすごい!

15世紀に描かれたもので、1850年に厚く塗られた壁の下から発見されたそう。
発見したのは、歌曲「カルメン」の著者メリメ。
Les Arts libéraux…とても日本語に訳しにくいタイトル。
中世の教養7学科のことをアール・リベロー(リベラル・アーツ)と呼ぶ。
その7つの学問とは、文法、修辞、論理、算術、天文、幾何、音楽。
フランドル絵画の影響を受けた、15世紀末の傑作。

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礼拝堂を出て、身廊へ。。。La vierge de Pitié 悲しみの聖母。ピエタ。
こちらも15世紀の作品。
表面の光沢が映ってしまってよく見えないけど、大きな作品で、マリアの顔が独特。

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古くて貴重なフレスコ画が多い。肝心のサン・ミシェルのフレスコ画を見逃してしまった…(汗)

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これが有名なマラリアの石 Pierre des Fièvres。
15世紀に作られたSaint Crucifix礼拝堂の床にあります。

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この上に横になると熱病が治ると言われていたらしい。
横になるわけにもいかないので触れてみる。

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石の横に置かれたピエタ像は、なかなかの迫力…。こちらも15世紀のもの。


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主祭壇のかの有名な黒いマリア像。
大聖堂はロマネスク様式だけど、ドーム型天井はビザンチン様式。

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今日は紫の衣装を着ています。なぜマリアの肌が黒いのかは今も謎だそう。
ヒマラヤ杉で出来ていることから東洋の女神だとか、コプト人だとかいろいろ言われている。


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交差廊の右側の柱の裏の聖ヤコブ像。フランス語で言えばサン・ジャック。
スペイン語で言えばサン・チャゴ。
スペインへの聖ヤコブ巡礼の道は、ここから始まっている。

> autour de la Catédrale 大聖堂の周りを

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裁きの門 porche du Forから外に出ます。
なんだか構造が複雑なので、いろいろ見逃してしまった気がするけれど…。
旅というのはそういうものなのでしょう。数10分そこらで全てを見ることは不可能。

それと、こうして落ち着いてから、実際に見たものと地図・解説を
ミシュランガイドで確認すると、ところどころ記載の間違いがある気づきました。
ミシュランガイドを書いている人でさえ、この複雑な構造に混乱しているのかも。

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大聖堂には北側のPorche St-Jeanと、この南側のPorche du For(裁きのポーチ)があり、
非常に短い交差廊の付け根部分にあたります。
この2つがまた、なんとな〜く似ているので方向感覚がおかしくなります。

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後陣は小さく、7階建てのピラミッド式鐘楼が建っているだけ…という感じです。
おそらく、ここがこの丘のてっぺん。

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シンプルな四角い顔の後陣のそばのFor広場からの眺め。天気がな〜。←しつこい

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気を取り直して歩こう!もうすぐ9時です。
9時になれば、回廊やCorneille岩山のノートルダム・ド・フランス像に入場できます。

まずは回廊かなぁ…と大聖堂の後陣をぐるりと迂回。

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あ、Caminoだ!巡礼者の旅と歴史の博物館です。
ここが開くのはこの季節は14時から…。
実は旅行を計画していた時から行きたいと思っていたのですが、
夕方の電車が路線工事で運休になり、仕方なく午前のみの観光に変更したので、
ここは断念せざるをえなくなったのです。あ〜残念。

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巡礼者の博物館に行けないのがなぜ、そんなに残念なのかって?
ここには昨年オープンしたばかりのCafé des Pèlerins 巡礼者カフェ↑があるから!
目立たない入口ですが…(笑)

Saint Vidal館の1階200平方メートルと、美しい庭がカフェになっているのです。
カテドラルの後陣にある休憩スポット!
あ〜残念。。。夏は11時〜19時半、それ以外は14時〜18時オープンです。
巡礼者でなくても、誰でも入れるそうです。
誰か、Kaoluluの代わりに行ってレポートしてください(笑)

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ルピュイ・アン・ヴレのノートルダム大聖堂〈Le Puy-en-Velay〉mar. 11 avril*4日目2_f0176688_1746594.gif 回廊はもうオープンしているかな。
 Kaoluluの短くて長いLe Puy散歩は続きます。



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by kaolulu-nv | 2017-05-12 23:36 | 2017フランス旅行記 | Comments(0)

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