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ときどき日誌 sur NetVillage

Kaoluluの日誌:France/news/旅

Moi aussi, JE SUIS CHARLIE.

Moi aussi, JE SUIS CHARLIE._f0176688_15592813.jpgこんにちは、Kaoluluです。
ブレないフランスに乾杯。

日本の報道は、やはり英語圏経由なのか、微妙な様子。
そもそも日本人はフランス共和国というものをよく知らない…。
かく言うKaoluluもかつては上辺しか知りませんでした。
庶民Kaoluluは、フランスでも地方やパリ郊外に親近感を持ち、
フランスにはきらびやかさとはまた別の、「平等」こそに重きを置く社会があると感じ、
かつ、日本という遠く離れた島国から客観的にフランスを眺めている立場にあり、
かえって「フランス内部はどうなっているのだろう」と常に興味をかき立てられています。

フランス憲法第一条
フランスは、非宗教的、民主的、社会的(sociale)な、分割し得ない共和国である。
フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、全ての市民に対して法の下での平等を保証する。(薬師院仁志「日本とフランス 2つの民主主義 不平等か、不自由か」より抜粋)


確かに、フランス憲法にあるように、フランスは、どちらかというと、
アメリカ式「自由」よりも、フランス式「平等」に重きを置いている国で、
法によってある程度自由が規制されていますが、
正しくは、規制されているのではなく、法によって「守られている」と言ったほうがいい。

「フランス国籍を持つ者は全員平等だ」と明言し、考え方や生き方の違いを互いに尊重する。
自由と平等の両立のために、法があり、愛がある。

Moi aussi, JE SUIS CHARLIE._f0176688_15571396.jpg
*Kaoluluはフランス人ではないので、この言葉を使うのは、おこがましいかもしれません。
 正確には、「On doit être libre comme Charlie」と言いたいのです。


ある国のことを、たった一つの事件だけで理解することは難しい。
特に、フランスは歴史も長く、構造も複雑で、一筋縄ではいかない。
フランスに住んで、初めてわかることも多いだろう。
だけど、住まなきゃわからないようでは、世の中何も理解できない。
そのために、人には「想像力」がある。

表現は自由だ。
表現を規制したり、ねじ曲げたりすると、人々の考えも無意識のうちにおかしな方向へ走りだす。
おかしいことを、おかしいと言えない社会は危ない。

日本人の中には、Charlie Hebdoの風刺画の方もやり過ぎの責任があるのではと言う人もいるが、
やはり、どう考えても、ペンに対して武力を行使するのは大きな間違いだ。
だから盛んに barbarie 野蛮だと言われるのだ。
不満があるなら、同じように言論で対抗すればいい。
彼らは、polémique 論争ならば喜んで受けて立つだろう。

…今日はフランスの団結を示す行進が国主導で開催されるそうです。うん、間違ってないよね。
パリは15時、Républiqu広場からNation広場にかけてです。
Voltaire大通りをまっすぐ行くコースと、11区を迂回する長距離コースの2つ。
Kaoluluはもちろん、歩けないけど、鏡開きのおしるこを食べながら、
心の中で祈りました(笑)

*追記*
フランスのニュースを日本からライブで見られる放送局
France24
iTélé
BFMTV

Moi aussi, JE SUIS CHARLIE._f0176688_13504818.jpg

Commented by Bera at 2015-01-11 22:27 x
こんにちは、Kaoluluさん

フランスの新聞スタンドで『Charlie Hebdo』のla uneを見かけて、正直日本人の私でさえ「えっ、こ、これ大丈夫なの?Trop sarcastique!」と心臓バクバクになったこともあります。特に宗教はかなりデリケートな問題を含みますから、それを信仰している人々の立場を尊重することは必要だと私は思っています。でも、フランスは政教分離が徹底している国ですから、宗教がらみのことも自由に表現できる対象の一つととらえるのでしょうね。

以前、フランスの公立学校で女子学生のスカーフが問題になった時、かくも自由を重んじる国でなぜ、スカーフを身につける自由=信仰を明らかにする自由がないのか、ととても疑問に思ったことがありました(日本だったら信教の自由は国民が持つ権利の一つとして認識されていますが)。それはフランスが公の場への宗教的なものの持ち込みを徹底的に排除する国だからこそであること、自分が日本の感覚で政教分離、自由というものをとらえていて、それが世界のどこの国でも通用するものと思い込んでいたことに気付かされました。自分が信じているもの、知っているものが絶対に正しいと思うことから他者に対する寛容性が失われていくものです。

昨日は今年最初のフランス語のレッスンだったのですが、私が通っているところでは、黒い喪章がついたフランス国旗が掲げられ、記帳所が設けられていました。花もたくさん。先生も、クラス全体も沈んでいました。私もちょっと集中できませんでしたね。
Commented by keikosuminoleb at 2015-01-12 08:15
いろんな国の言葉でJe suis Charlie があって、
いろんな国のイラストレーターがJe suis Charlie を描いているけど、
日本からはないんだ・・・と思っていたら大間違いでした!
kaoluluさん、ありがとうございます。
どこかに日本のマークを入れて、ネットで拡散してほしいです。
(ボクはシャルリー、とか・・・)

今日、共和国の行進に参加しました。
今回の事件を間接的に体験し、いままでどれだけフランスに世話になっていたか、
という思いでいっぱいになったのです。
いままで直接実感することはなかったとしても、
この国に住む私も、この国家は守ってくれていた。
そう実感したのです。
事件の翌日の黙祷の時点で、それを痛感しました。

Commented by kaolulu-nv at 2015-01-12 15:01
> Beraさん
こんにちは。貴重なご意見、本当にありがとうございます。
ほぼ無宗教の日本人にとっては、宗教のことを口にするだけで問題に接触してしまいそうで恐いですよね…。相手を刺激しそうなことはあえて触れない、それが日本の礼儀。

私もこの「Je suis Charlie」という言葉を書くだけでも、緊張しました。テロリストにマークされてしまうだろうか?とか(苦笑)
keikosuminolebさんが続いてコメントを下さったように、日本人のイラストレーターがこのメッセージを発しないのは、恐い人を敵に回したくないと感じているからだと思います。もちろん、私もそうですよ!
でも、私は勇気を出して描きました。
これは宗教の問題ではないように思うからです。

スカーフの問題は、自由と平等の天秤が、日本のものとは仕組みが違って、なかなか理解に苦しみますよね…。
ホント、日本の国の感覚が、どこの国にでも通じるわけじゃない…。日本は考え方が似ている人の集まりなので、何も違和感なく暮らしていますが、ある意味、恵まれているのかもしれません。

今朝はネットチェックをせず、さっと散歩に出かけてきました。帰宅して、散歩ネタでもアップしようかと思ったのだけど、フランスのニュースはまだまだCharlie...(苦笑)東日本大震災の時の日本の報道を思い出しますね。
Commented by kaolulu-nv at 2015-01-12 15:12
> すみのさん
私も遅ればせながら、Je suis Charlieと書いてみました。
実は、結構勇気がいる行動でした。
日本人のくせに何言ってるんだという感じもするし、確かに、Charlie Hebdo紙の風刺画は過激な表現が多いから…。でも、この事象は「例え」であって、「過激な表現は使わなくとも、私も自分の意見を誤摩化さず発言していきたい」という希望として描きました。。。
今度、日本語をどこかに書き加えておきましょう。
SNSに参加していないので、とりあえず、このブログでの発信ですみません。

先ほど、行進の様子、ブログで拝見致しました。
予想通り、ものすごい人出だったようで!!
日本でもニュースになっていました。でも、やはり、日本人には新聞社が襲撃されただけで、なぜ、ああも人が騒いでいるのかと不思議に感じられています。むしろテロリストを刺激するのではないかとヒヤヒヤ…。
論争を敬遠する日本人と、立ち向かうフランス人。
この違いが改めて明らかになったなぁと、日本の国内にいると感じます。
フランスは国民を守り、国民はフランスを信じている。
国に対してのデモやストも多いけれど、それだけ国と国民(移民も含む)との対話が成立しているんだろうなと思います。
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by kaolulu-nv | 2015-01-11 11:39 | 気になるフランス | Comments(4)

by kaolulu-nv
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